上荒久田村(読み)かみあらくだむら

日本歴史地名大系 「上荒久田村」の解説

上荒久田村
かみあらくだむら

[現在地名]会津若松市町北町上荒久田まちきたまちかみあらくだ石堂町いしどうまち駅前町えきまえまち扇町おうぎまち

会津盆地中央部東より、南は石堂いしどう分、東は上河原かみかわら分、西は広く田圃が開け藤室ふじむろ村・中明なかのみよう村に続く。村名は荒起し期の畑を意味するアラク・アラキに由来すると思われる。かつては北東二町余にあったが、万治二年(一六五九)現在地に移ったという(新編会津風土記)。新田開発など耕地拡張の過程で移転したと思われ、その二年後には西光さいこう寺も現在地に移転している。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では大沼郡のうちに村名があり、高四二六石余。高久組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高五九四石余。化政期の家数五八(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数五四(寺一)・人数二四九(人員録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報