上藤井村(読み)かみふじいむら

日本歴史地名大系 「上藤井村」の解説

上藤井村
かみふじいむら

[現在地名]羽生市藤井上組ふじいかみぐみひがし一―九丁目

尾崎おさき村・稲子いなご村などの南にあり、洪積台地の埋没台地と、利根川の乱流路によって形成された後背湿地からなる。天正一〇年(一五八二)の成田家分限帳に載る譜代侍藤井宮内(永三一貫文)・藤井大助(永一〇貫文)を当地出身とする説がある(風土記稿)。古くは南に続く下藤井村と一村で、田園簿・元禄郷帳・天保郷帳ともに藤井村で高付される。田園簿によると田高七九一石余・畑高六七六石余、幕府領で、ほかに源長げんちよう寺領二〇石があった。国立史料館本元禄郷帳では幕府領。宝暦一三年(一七六三)から下総佐倉藩領となり(「堀田氏領知調帳」紀氏雑録続集)、化政期の上・下両村の家数一六〇(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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