上貝塚村(読み)かみかいづかむら

日本歴史地名大系 「上貝塚村」の解説

上貝塚村
かみかいづかむら

[現在地名]大網白里町上貝塚・柿餅上貝塚入会地かきもちかみかいづかいりあいち

北横川きたよこかわ村の北東に位置する。元禄郷帳では貝塚村とあるが、現九十九里くじゆうくり町域の貝塚村と区別するため、天保郷帳では上貝塚村とする。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に貝塚村とみえ、高三六石。慶長一四年(一六〇九)知行宛行状で当村の高三二石余が旗本戸塚氏に与えられた。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では清名幸谷組に属する。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では上貝塚村とあり、高五一石余、家数二四、幕府領・旗本戸田領・与力給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む