上賀陽庄(読み)かみかやのしよう

日本歴史地名大系 「上賀陽庄」の解説

上賀陽庄
かみかやのしよう

古代の気多(けた)郡賀陽(かや)郷(和名抄)が上下に分れて庄園化したもので、庄域は現在の大字加陽(かや)付近、下賀陽郷より円山(まるやま)川の上流部が想定されるが、両者の境界を含めて比定地は正確には未詳。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文の気多郡のうちに「上賀陽庄 十七町六反三百廿八分」とみえ、「公文職御家人役勤仕之地 盛蓮与定宗相論云々」「地頭二人」の注記があり、「南方地頭 小林三郎入道」「北方地頭 同三郎次郎真重」と記される。地頭は「吾妻鏡」建久六年(一一九五)三月一〇日条などに「小林三郎」と登場する、上野国を本拠とする御家人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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