上道郡荒野
かみつみちぐんこうや
遺称地は不明。史料上では「上道郡荒野」、または「上道郡荒野一所」と記され、奈良春日社に相伝された。正安二年(一三〇〇)の上道郡荒野庄領地図(大宮家蔵)では鹿田川(旭川)河口左岸に図示され、対岸に鹿田庄が記される。同図の位置関係からすると平井から門田一帯辺りに比定され、宇治郷内の地であった(延元元年五月五日「後醍醐天皇綸旨案」大宮文書)。
庄領地図によると西は鹿田川、南は内海、東は「アハトノセト」と称する海、北には堤が構築されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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