主として個人,ときには集団が,不動産や財物などを神社や仏寺に寄付するとき,その趣旨を記した文書。その動機は宗教的なものが多い。古くは献物帳,次いで施入状などと称したが,平安時代中期ころから寄進状と呼ばれることが一般的となった。書式は冒頭に〈寄進〉とあり,末尾に〈仍寄進状如件〉と書き止めるのが普通であるが,寄進者の立場により,御教書(みぎようしよ),奉書,朱印状などの形をとることもある。文言はその動機が寄進者の所望成就,後世菩提など,宗教的願望を有するものが多いので,仏教的表現をもつものが少なくない。また,このような宗教的寄進状のほかに,平安時代中期ころから,地方豪族の開拓荘園に関する寄進状が目につく。例えば長徳3年(997)9月10日玉手則光らの寄進状(東寺百合文書)などがその一例である。すなわち先祖開拓の山城国上桂荘を,則光らのときに東三条院女房の大納言局に寄進した文書で,その目的は,〈為奉募御威勢〉すなわち上桂荘を局に寄付して領家と仰ぎ,局の権威を借りて他よりの侵略を排除し,みずからは中司職(荘官)として,実質的な荘園支配を維持しようとしたものである。このような寄進状はこのころからしばしば登場してくる。
中世において,神社,仏寺に寄進された不動産や財物は,神聖な〈神物〉〈仏物〉として,為政者の手厚い保護を受けた。したがって朝廷や鎌倉・室町両幕府が発布した徳政令において,寄進状によって寄付されたものは,つねに徳政令による破棄から免除された。たび重なる徳政令の発動により,買得地の領有の破棄を恐れた買主は,売主に強請し,同じ土地を対象とし,同一日付で寄進状を書かせ,それにより徳政令による破棄を免れることが慣習化した。室町時代中期ころになると,売却・寄進両様の趣旨が一通の文書にまとめられた〈売(うり)寄進状〉と称する文書が,各地で作られることとなった。
執筆者:宝月 圭吾
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神仏社寺や権門勢家(けんもんせいか)に財物所領を寄進する際、その内容目録と寄進理由などを記して添えた文書。古くは献物帳(けんもつちょう)ともいい、また施入(せにゅう)状、奉納(ほうのう)状、寄文(よせぶみ)とも称した。平安時代末の荘園公領(しょうえんこうりょう)制成立期には、私領の保護を求めて有力社寺や権門勢家への所領の寄進状が多い。また、鎌倉時代から室町時代初期にかけての幕府の寄進状には、御家人(ごけにん)の所領寄進を承認し、いわゆる安堵(あんど)の下文(くだしぶみ)、下知状(げちじょう)と同じ役割を果たしたものがある。なお、鎌倉時代末ごろから、同一物件、同一人物、同一日付の売券(ばいけん)と寄進状とが組になったもの、または売(うり)寄進状がみられるが、これは本来、寄進の志を満たし、かつ売却代価をも得る目的で、寄進と売却とが一体化した売寄進行為に際して作成されたものである。売寄進には、売却を寄進で装って徳政(とくせい)を免れる手段としたり、以前の寄進をのちに売却によって確定する意味をもたせたりすることがあった。
[伊藤敏子]
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