上里外村(読み)かみりんげむら

日本歴史地名大系 「上里外村」の解説

上里外村
かみりんげむら

[現在地名]佐賀市西与賀町にしよかまち大字厘外りんげ

西は本庄江ほんじようえ、南は高太郎たかたろう村や上飯盛かみいさがい村、東は鹿子かのこ村の正里しようり本庄ほんじよう村の高柳たかやなぎ西寺小路にしてらくうじに接するクリークの多い水田地帯。本庄江には厘外津や今津いまつなどの津が発達していた。

慶長絵図には「里外」として「高二千六百十八石二斗二升二合」と記されている。「厘外」と書くのは江戸後期になってからと思われる。文化一四年(一八一七)の郷村帳には厘外東分村(高柳・平松・野田・宮ノ丁)、厘外西分村(中村・中島・八竜)と記されている。佐賀本藩の蔵入地。村内に山本常朝の師湛然を開山とする曹洞宗楊柳ようりゆう寺などがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む