上野南大門町(読み)うえのみなみだいもんちよう

日本歴史地名大系 「上野南大門町」の解説

上野南大門町
うえのみなみだいもんちよう

[現在地名]台東区上野うえの三丁目

下谷長者したやちようじや町一―二丁目の西にある。古くは下谷村の内で寛永二年(一六二五)に東叡山寛永寺の門前町屋になった。この元地は寛永寺山門前の大門通(下谷広小路)両側にあったことから、大門町とよばれた。元禄一〇年(一六九七)に寛永寺の中堂建設が始まると広小路の東側が御用地になり、代地として下谷長者町表通御徒組屋敷と神田八軒かんだはちけん町続(柳原大門町、現千代田区)の二ヵ所が与えられた。下谷長者町表通のほうは元地より南に移ったので南大門町と称された(御府内備考)。西は道を隔てて豊前小倉藩小笠原氏中屋敷(現千代田区)、南は下谷長者町一丁目、北は長者町続下谷車坂ちようじやまちつづきしたやくるまざか町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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