日本歴史地名大系 「上頓野村」の解説 上頓野村かみとんのむら 福岡県:直方市上頓野村[現在地名]直方市上頓野尺(しやく)岳の西麓、金剛(こんごう)山の南麓、雲取(くもとり)山北麓にあたり、遠賀(おんが)川支流の尺岳(しやくだけ)川・近津(ちかづ)川の上流域を占める。東は豊前国企救(きく)郡道原(どうばる)村(現九州市小倉南区)、西は感田(がんだ)村など、南西と南東は頓野村。古くは頓野村と一村であったが、正徳三年(一七一三)に同村のうちイデクチ(井手口・出口)より東の川南(かわみなみ)・安入寺(あんにゆうじ)・川北(かわきた)を合せて上頓野村にしたという(続風土記附録)。安政期(一八五四―六〇)の村明細帳(香月文書)によれば、反別七二町七反余、五穀のほかに蕎麦・大根・唐芋などを作り、家数一六五、弘化四年(一八四七)改の人数九七一で、医師一・出家一・大工三・鍛冶一・大鋸一二がいた。年貢蔵一があり、年貢は頓野村抱え渡場より舟で若松(わかまつ)積立所(現北九州市若松区)へ上納し、運賃は一俵につき八合二勺であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by