上鵜河原村
かみうがわらむら
[現在地名]菰野町大強原
池底村の東南、海蔵川南岸に位置し、南は竹谷川を隔てて吉沢村に、東は鵜河原村に接する。旧名を大強原といい、上村と俗称する。「建久三年皇太神宮年中行事」に「六月十六日、小朝熊饗料所者大強原御厨也」として現れる。鵜河原村(現下村)の禅林寺(臨済宗妙心寺派)にある天文四年(一五三五)の雲版銘には「大強原禅林寺住持玄東(下略)」とある。また文禄四年(一五九五)一一月の豊臣秀吉の朱印状(近江国坂田郡志)には「伊勢国三重郡鵜河原、四百石、遠藤孫作」と出ている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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