日本大百科全書(ニッポニカ) 「菰野藩」の意味・わかりやすい解説
菰野藩
こものはん
江戸時代、伊勢(いせ)国(三重県)三重郡菰野周辺を領有した藩。尾張(おわり)犬山城主土方雄久(ひじかたおひさ)の長男雄氏(かつうじ)は1599年(慶長4)徳川家康に疑われ、父ともども常陸(ひたち)水戸城主佐竹義重(さたけよししげ)のもとに蟄居(ちっきょ)。関ヶ原の戦い後、秀忠(ひでただ)に仕えて1万2000石を与えられ菰野に入封、当藩を興した。雄氏、雄高(かつたか)、雄豊(かつとよ)、豊義(とよよし)(叔父久長(ひさなが)に1000石分与。1万1000石領有、以下同様)、雄房(かつふさ)、雄端(かつまさ)、雄年(かつなが)、雄貞(かつさだ)、義苗(よしたね)、雄興(かつおき)、雄嘉(かつよし)、雄永(かつなが)、雄志(かつゆき)と13代在封した。1871年(明治4)廃藩、菰野県、安濃津(あのつ)県を経て、三重県に編入された。
[原田好雄]
『菰野町史編纂委員会編『菰野町史』(1974・名著出版)』