四日市宿(読み)よつかいちじゆく

日本歴史地名大系 「四日市宿」の解説

四日市宿
よつかいちじゆく

[現在地名]東広島市西条町西条・西条本町

近世山陽道(西国街道)宿駅。「芸藩通志」に「館庁あり、伝馬十五匹を置く、逓送東は豊田郡本郷駅に至る、六里、西は安芸郡海田駅に至る、五里半、里程長くして東西とも坂路あり」とあり、東の助実すけざねから教善きようぜん寺門前を経て、半尾はんのお川を渡って西条東さいじようひがしへ至る道沿いに市町が発達。天正一五年(一五八七)三月一五日、豊臣秀吉が四日市で泊まっている(九州御動座記)が、「国郡志下調書出帳」に慶長(一五九六―一六一五)以前の往還は四日市を通らず、下三永しもみなが村から御園宇みそのう江熊えぐま峠を経て寺家じけ村に入るという南寄りの道であったとあり、「芸藩通志」に「四日市は天正年中に分て市駅とす」とあるように、四日市経由の道は近世になってからのものと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の四日市宿の言及

【四日市[市]】より

…【稲本 紀昭】 江戸時代は天領となり,代官の支配を受けた。1601年(慶長6)桑名と石薬師の間の東海道の宿駅とされ,四日市宿と呼ばれた。南町,北町,西町,竪町,浜町の5町が中心の町で,港としても熱田との往来が盛んであった。…

※「四日市宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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