日本歴史地名大系 「四日市宿」の解説
四日市宿
よつかいちじゆく
近世山陽道(西国街道)の宿駅。「芸藩通志」に「館庁あり、伝馬十五匹を置く、逓送東は豊田郡本郷駅に至る、六里、西は安芸郡海田駅に至る、五里半、里程長くして東西とも坂路あり」とあり、東の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
近世山陽道(西国街道)の宿駅。「芸藩通志」に「館庁あり、伝馬十五匹を置く、逓送東は豊田郡本郷駅に至る、六里、西は安芸郡海田駅に至る、五里半、里程長くして東西とも坂路あり」とあり、東の
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…【稲本 紀昭】 江戸時代は天領となり,代官の支配を受けた。1601年(慶長6)桑名と石薬師の間の東海道の宿駅とされ,四日市宿と呼ばれた。南町,北町,西町,竪町,浜町の5町が中心の町で,港としても熱田との往来が盛んであった。…
※「四日市宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」