下々村
しもそうむら
[現在地名]新城市八束穂
竹広村の東北、伊那街道の南に広がる。寛永郷帳の一本には「しもすそ」と訓じている。慶長九年(一六〇四)の川路村検地帳には、「下すそ入作方」と記される。近世を通じて新城藩領。慶安二年(一六四九)、村の西北新間塚町の西の伊那街道沿いに、新間柳町を分郷したという。柳田村から一戸、下々村から五、六戸の出郷という。安政七年(一八六〇)の火消人数定(新城町誌)には二九戸となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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