下修善寺村(読み)しもしゆぜんじむら

日本歴史地名大系 「下修善寺村」の解説

下修善寺村
しもしゆぜんじむら

[現在地名]修善寺町修善寺

狩野かの川の支流かつら川流域に開けた村で、北は瓜生野うりゆうの村。江戸時代は君沢くんたく郡に属する。北条氏所領役帳に伊豆衆清水康英の所領として五〇貫文豆州「修禅寺 此外五十貫文修禅寺江御寄進」、修禅しゆぜん寺領として五〇貫文「伊豆修善寺半分」とあり、北条氏の宿老清水氏と修禅寺がそれぞれ五〇貫文ずつ所領としていた。文禄三年(一五九四)八月一六日から二三日まで検地が実施された(野田家文書)。「増訂豆州志稿」によれば、寛永一九年(一六四二)上修善寺村と分離したとされる。元禄初年高帳では高二六〇石余と新田高三石余。江戸時代初期は幕府領、宝永五年(一七〇八)相模荻野山中藩領となって幕末まで続く(韮山町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android