田方郡(読み)たがたぐん

日本歴史地名大系 「田方郡」の解説

田方郡
たがたぐん

面積:五五八・六九平方キロ
函南かんなみ町・韮山にらやま町・伊豆長岡いずながおか町・大仁おおひと町・中伊豆なかいず町・修善寺しゆぜんじ町・天城湯あまぎゆしま町・戸田へだ村・土肥とい

伊豆半島の中央部から北部を占め、北は神奈川県足柄下あしがらしも湯河原ゆがわら町・箱根はこね町、三島市・沼津市、東は熱海市・伊東市、北西は三島市に接し、西は沼津市に接して一部駿河湾に面し、南は賀茂かも郡賀茂村・西伊豆町・河津かわづ町・東伊豆町に接する。南を天城あまぎ山脈で限られ、同山脈を水源とする狩野かの川がほぼ中央を北流する。海岸部および天城の峰々などが富士箱根伊豆国立公園に指定される。郡名の初見は藤原宮跡出土木簡(「木簡研究」二―一七頁)に「伊豆国田方郡(久カ)自牟里次丁二分調」とみえる例である。「久自牟里」は「和名抄」所載のくずみ郷に相当し、木簡は大宝令施行以降霊亀二年(七一六)以前の郡里制下のものと考えられる。「和名抄」元和古活字本・東急本の国郡部に「多加太」の訓がある。郡域は時代により異なる。

〔古代〕

古代においては現在の戸田村・土肥町は那賀なか郡に属し、三島市・函南町・熱海市・韮山町・伊豆長岡町大仁町・伊東市・中伊豆町修善寺町天城湯ヶ島町および沼津市の一部が田方郡域と考えられる。郡の北西部が駿河国、北東部が相模国と接していた。駿河国との国界については諸説あり、一時期変更があったとする説もあるが、一応、さかい(大場川)など旧駿東すんとう郡と田方郡の境としておく。「和名抄」元和古活字本・東急本の国郡部によると当郡に国府が所在した。東急本に当郡の郷として新居にいい小河おがわ直見たたみ佐婆さば鏡作かがみつくり茨城むばらき依馬えま八邦やくに・狩野・天野あまの吉妾きしよう・有辨・久の一三郷がみえる。高山寺本では有辨を有雑うさいに、名博本は久を久寝につくる。平城京跡出土木簡では「棄妾」「有雑」「久」の三郷がみえる。「棄妾」は「和名抄」の吉妾郷のことである。元和古活字本・東急本の有辨は高山寺本・木簡の表記から考えると有雑の誤写であろう。

郡域の中央を流れる狩野川は伊豆半島ではまれな大河川であり、中・下流域に広大な田方平野を形成する。現在でも伊豆半島で水稲耕作を行っているのは主として同川中・下流域である。古代の条里地割も、伊豆半島南部の現賀茂郡南伊豆町の青野あおの川とその支流域で一条いちじよう二条にじようの地名から施行が想定されるほかは、田方平野の北は現三島市の伊豆国府推定地から南は現大仁町田京たきようまでの狩野川流域の広域条里と、田方平野とは方位の異なる境川以西で黄瀬きせ川扇状地東半部の、北は現駿東郡長泉ながいずみ町から南は狩野川南岸の現沼津市大平おおひらまで続く条里地割の二つしかないといっても過言ではない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報