豊田町の西南端、俗にお
狗留孫山(六一六・三メートル)は山頂から
「当山由来書」に「天平勝宝六甲午年南都東大寺実忠和尚夢相ニ由テ遥ニ此山ニ尋ネ来レリ其時霊石ヨリ金色ノ光明ヲ放チテ大悲観音ノ尊容ヲ現シ玉フ」とあり、この「霊石」は現本堂の右に高くそびえる観音岩のことという。
建仁三年(一二〇三)九月二九日、二代将軍源頼家(左金吾禅室)が「伊豆国修禅寺」に下向した。先に北条氏排除に失敗して出家させられており、先陣の随兵一〇〇騎・女騎一五・御輿三・小舎人童一人、後陣の随兵は二〇〇余騎であった(吾妻鏡)。翌元久元年(一二〇四)七月一八日に頼家は北条義時によって当寺で謀殺されている(「吾妻鏡」・「鎌倉年代記」同月一九日条、「愚管抄」)。寛元四年(一二四六)に宋から来朝した蘭渓道隆が来住して臨済宗に改宗し、寺辺の景観が故国の揚州廬山に似ていることから山号福知山を肖廬山、寺号修善寺を修禅寺に改めたという(増訂豆州志稿)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
静岡県伊豆市にある曹洞(そうとう)宗の寺。修善寺とも書いた。肖廬山(しょうろさん)と号する。通称お弘法(くぼう)さん。開山は弘法(こうぼう)大師空海の高弟である杲隣(こうりん)。初めは真言宗であったが、建長(けんちょう)年間(1249~56)宋(そう)の禅僧蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が鎌倉からきてこの寺に入ったとき臨済宗となり、さらに1489年(延徳1)隆渓繁紹(りゅうけいはんしょう)によって曹洞宗に変わった。源範頼(のりより)は兄頼朝(よりとも)によってこの寺に幽閉され、1193年(建久4)梶原景時(かじわらかげとき)に襲われて自刃した。また、1204年(元久1)には北条時政(ときまさ)に幽閉された源頼家(よりいえ)がここで殺された。その史実を描いた岡本綺堂(きどう)の戯曲『修禅寺物語』は名高い。宝物館には頼家の顔を面作り師夜叉王(やしゃおう)が写したという古面や、放光般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)経などがある。近くの指月(しげつ)ヶ丘には北条政子(まさこ)が頼家の冥福(めいふく)を祈るために建てた指月殿(宋版一切経(いっさいきょう)を納めるため一切経堂ともいう)と頼家の墓がある。
[菅沼 晃]
静岡県伊豆市の旧修善寺町にある曹洞宗の寺。修善寺とも書かれた。山号は走湯山,肖廬(しようろ)山。延暦年間(782-806)に空海の弟子杲隣(こうりん)によって創建と伝えられ,もと真言宗であった。その後,鎌倉時代に来朝僧蘭渓道隆が入住して以来臨済宗となり,1259年(正元1)には一山一寧も当寺に住している。しかし当寺が発展するのは,北条早雲が一族出身の僧隆渓繁紹を住職にすえ,外護を加えてからである。隆渓は三河石雲院の崇芝性岱(そうししようたい)の弟子であるが,この結果当寺は曹洞宗となった。江戸時代の曹洞宗では,国ごとに録所寺院を置いて宗内寺院の統轄を行わせたが,当寺は最勝院(伊豆市の旧中伊豆町)とともに録所寺院となり,同国の曹洞宗如仲派の寺院を支配した。江戸時代の朱印地は30石であった。寺内には塔頭(たつちゆう)8庵があったが,1863年(文久3)に焼失し87年に復興した。当寺は岡本綺堂の《修禅寺物語》によって広く知られるようになったが,これは当寺に幽閉された鎌倉2代将軍源頼家に取材したものである。
執筆者:山本 世紀
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静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺。肖盧山と号す。もとは福知山と称した。俗にお弘法さんという。寺伝では空海の創建というが,空海の弟子杲隣(こうりん)あるいは2世が開創とする説もある。1194年(建久5)に源頼朝の弟範頼が,1203年(建仁3)には2代将軍源頼家がここに幽閉され,のち謀殺された。46年(寛元4)蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が来住して臨済宗の寺とし,修善寺から修禅寺と改名。室町初期に幕府が安国寺・利生塔を諸国に設置したが,伊豆国利生塔がここに設置された。戦国初期に北条早雲が隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)を住持に迎え,曹洞宗に改め現在に至る。境内には頼家の墓がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…頂上を弥山(みせん)と呼び,古くから霊山として信仰の対象となっていた。樹林がうっそうと茂る南側の中腹に十一面観音を本尊とする真言宗の名刹(めいさつ)修禅寺があり,夏は渓流にカジカの声を聞き,秋は紅葉が美しい。山頂は本州最西端の展望台として,西方は響灘から玄界灘を眼下に,南方に遠く九州の連山が眺望できる。…
※「修禅寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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