下大岡村(読み)しもおおかむら

日本歴史地名大系 「下大岡村」の解説

下大岡村
しもおおかむら

[現在地名]南区大岡おおおか一―五丁目・大橋おおはし町一―三丁目・とおり町一―四丁目・中島なかじま町一―四丁目・若宮わかみや町一―四丁目

東は山を隔てておか(現磯子区)、西は中里なかざと村・弘明寺ぐみようじ村、南は上大岡村(現港南区)、北は薪田まいた村・井土いど村に続く。大岡おおか川は村の西北境を上大岡村から蒔田村に流れる。金沢かねさわ道は村の中ほどを蒔田村から上大岡村に達する。小田原衆所領役帳に、萩野「九拾九貫四百卅二文 久良岐郡大賀郷、七拾八貫三百文 同所癸卯検地増」と出る。大賀おおがは上大岡村・下大岡村に分れる以前の名称。永禄六年(一五六三)四月二六日北条家朱印状(県史三)に「久良岐郡富岡・大岡郷」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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