弘明寺公園の東にある。高野山真言宗、瑞応山と号し、本尊十一面観音。坂東三十三観音一四番札所。「吾妻鏡」治承五年(一一八一)正月二三日条にみえる「求明寺」が弘明寺にあたれば、源家累代の祈願所であったことになる。明応五年(一四九六)一二月一三日弘明寺勧進帳写(県史三)によれば、寛徳元年(一〇四四)光慧が再興、元亨元年(一三二一)には浄泉比丘尼が堂宇を修理した。天文二年(一五三三)三月一八日北条家朱印状写(同書)には「寺領之事 一、壱貫参百文仏供銭 一、壱貫弐百文定香銭 一、壱貫弐百文
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
横浜市南区弘明寺町にある高野山(こうやさん)真言宗の寺。瑞応山(ずいおうざん)蓮華院(れんげいん)と号する。坂東観音(ばんどうかんのん)霊場第14番札所。寺伝では、721年(養老5)インドの善無畏(ぜんむい)によって開山、天平(てんぴょう)年間(729~749)に行基(ぎょうき)が仏教宣布のため全国を回遊中に当山の霊域を感得し、草庵(そうあん)を結び観音像を彫刻、安置したと伝える。その後、弘法(こうぼう)大師(空海)が歓喜聖天(かんぎしょうでん)を刻んで安置した。源頼朝(よりとも)の祈願寺とされ、室町時代には北条早雲(そううん)が寺領を下付し、さらに江戸時代には御朱印を与えられて護持されたが、明治時代の廃仏棄釈により一時衰微した。現在は門前商店街の繁栄とともに参詣(さんけい)者でにぎわう。本尊の十一面観音像は横に丸鑿(まるのみ)跡を残す「鉈(なた)彫り」の彫像で、平安時代の横彫りの代表的仏像として国の重要文化財に指定されている。
[野村全宏]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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