下大里村(読み)しもおおさとむら

日本歴史地名大系 「下大里村」の解説

下大里村
しもおおさとむら

[現在地名]天栄村大里おおさと

小川おがわ村の西、上大里村の東、竜田たつた川中流域の丘陵に立地。もと上大里村と一村であったが慶安検地で分村。白河古領村郷高帳に下大里村とみえ、高八八四石余。安永二年(一七七三)の白河郡村々細見記(加藤家文書)では反別田三八町八反余・畑三五町三反余、免五ツ八分七厘、家数七八(高持六八・無高八・寺社二)、人数三五〇(男一八五・女一六二、社人・僧三)。「白河風土記」によれば家数は本村に四、端郷の出溜廻でたまわり(宮下とも)(うち上大里村分一)西小屋にしごや一三・てらうち四・丹下たんげ一一・桑名屋敷くわなやしき(桑名邸)一八・二斗内にとうち(うち上大里村分三)原屋敷はらやしき四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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