日本歴史地名大系 「岩瀬郡」の解説
岩瀬郡
いわせぐん
県中通りの南部に位置し、北は郡山市、東は須賀川市・石川郡
郡名の初見は「続日本紀」養老二年(七一八)五月二日条の「石背」で、同書神護景雲三年(七六九)三月一〇日条では「磐瀬」、「三代実録」貞観三年(八六一)一〇月一六日条には「石瀬」とあり、保延四年(一一三八)一〇月二六日の陸奥国司庁宣案(上遠野文書)には「岩瀬郡」とある。以降中世まで磐瀬・岩瀬などが混用されたが、近世以降はほぼ岩瀬が用いられた。なお以下の記述は、近世までの郡域を対象とする。
〔原始・古代〕
旧石器時代の遺跡には鏡石町
前掲の「続日本紀」養老二年五月二日条には「割白河・石背・会津・安積・信夫五郡、置石背国」とみえ、陸奥国に属していた石背郡はこのとき新設された石背国に属したが、まもなく同国廃止により陸奥国に属した。「続日本後紀」嘉祥元年(八四八)二月二二日条に「陸奥国磐瀬郡権大領外従七位上丈部宗成」とあり、丈部氏が郡権大領であった。「和名抄」東急本は磐瀬郡に磐瀬・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報