日本歴史地名大系 「下戸鎖村」の解説 下戸鎖村しもとくさりむら 岩手県:久慈市下戸鎖村[現在地名]久慈市山根町(やまねちよう) 下戸鎖小久慈(こくじ)村の南、長内(おさない)川上流、戸鎖川と端神(はしかみ)川(南畑沢)の合流点を中心とする流域に位置する。沼宮内野田(ぬまくないのだ)道が通り、当村で野田街道に接続する。館平(たてひら)には堀跡の残る伊藤(いとう)館跡がある。近世を通じて盛岡藩領野田通に属する。初め上戸鎖村と合せて戸鎖村であったが、寛文年間(一六六一―七三)に上下二村に分れた(管轄地誌)。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では蔵入金目高二七石余、七ヵ年平均の免は一〇〇石につき五八匁で「御物成諸役共」とある。元禄十郡郷帳では当村は侍浜(さむらいはま)村に入る。「邦内郷村志」では蔵入高二三石余、馬数は上戸鎖村と合せて五五八。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by