デジタル大辞泉
「久慈市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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久慈市
岩手県北東部の沿岸にあり、人口は約3万7千人。東日本大震災の津波被害に遭った。同市小袖地区の海岸でウニなどの素潜り漁をする海女は「北限の海女」として知られ、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でも取り上げられた。小袖地区の海岸には昨夏、前年同時期に比べ20倍以上の観光客が訪れ、市はあまちゃんの経済効果を9億6500万円と試算している。
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出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
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久慈市
くじし
面積:三二五・九一平方キロ
県の北東部に位置する。東は太平洋に面し、西は九戸郡山形村、南は同郡野田村・下閉伊郡岩泉町、北は九戸郡種市町・大野村に接する。現市域は古代には閉伊郡に含まれていたとみられ、中世には同郡から分立した久慈郡の大部分を占め、江戸時代には九戸郡に属した。平庭岳(一〇五九・八メートル)・遠別岳を源とする久慈川が、中央部を東流して久慈平庭県立自然公園の一部を形成、北流してきた長内川、北部を東流してきた夏井川と河口付近で合流して久慈湾に注ぐ。南部には小倉山に源を発する宇部川が東流して野田湾に、北端を東流する高家川は種市町との境界河川となり太平洋に注ぐ。高家川を除くこれらの川の下流付近は沖積平野となっているが、そのほかの地域は丘陵台地となって市域の大半を覆い、断崖絶壁を築く海岸部は陸中海岸国立公園の北の玄関口にあたる。市街地は久慈川沖積地に立地し、市街地を中心に南北にかつての浜街道にあたる国道四五号が縦貫、西へ国道二八一号、北西へ三九五号が走り、南方内陸部を主要地方道久慈―岩泉線が走る。久慈駅を起点として北へJR八戸線、南へ三陸鉄道北リアス線が通じている。
〔原始・古代〕
久慈川・長内川・夏井川・宇部川などの河川が形成した段丘と海岸段丘は、先史時代から生活の場として使用されてきた。調査によって検出された遺跡は古代集落が中心で、縄文時代・弥生時代の遺跡は数例を数えるにすぎず、旧石器時代の遺構・遺物は現在まで発見されていない。縄文時代早期の桑畑遺跡では貝殻文土器が発見されているが、遺構は未発見。縄文前期にあたる本波遺跡・麦生遺跡などからは遺物が出土している。中期の三崎遺跡群は大規模な遺跡として知られ、多量かつ多種な石器が採取されている。この遺跡群のうち三崎III遺跡が調査され、土壙一一基が検出されている。そのほかには向野遺跡・小袖沢遺跡などがある。後期のものとしては三崎遺跡群の三崎I遺跡や、昭和五七年(一九八二)に調査され竪穴住居跡四棟が検出された上野山遺跡のほか、北野遺跡・向町III遺跡などがある。晩期遺跡には同五八年に調査された大芦遺跡や七小出II遺跡などがある。弥生時代のものは沖積段丘上に分布するが、調査は現在までされていない。土器片は七小出III遺跡・広野遺跡・馬場平遺跡で出土した。なお久慈市の名産である琥珀の玉の未完成品が上野山・中長内の古代の竪穴住居跡から発見され、古代において琥珀加工が行われていたことが証明された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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久慈〔市〕
くじ
岩手県北東部,三陸海岸に面する市。久慈川が東流し,久慈湾に注ぐ。1954年久慈町,長内町の 2町と宇部村,山根村,大川目村,夏井村,侍浜村の 5村が合体し市制施行。2006年山形村と合体。市名はアイヌ語に由来するとされる中世からの地名による。九戸地方の中心をなし,江戸時代は久慈氏の城下町,浜街道の宿場町として発展。やませ対策の施設園芸によるホウレンソウや,米,ダイズの生産も行なわれる。海岸ではアワビ,ウニ,ワカメなどの磯漁業が中心。漁港整備とともにアワビなどの育苗,稚貝放流なども進められている。定置網によるサケやサバなどが水揚げされる。畜産も行なわれ,短角牛を産する。重要港湾に指定される掘込式の久慈港があり,ケイ石,木材,チップなどが積み出される。文化年間(1804~18)から続く相馬焼の技法を伝える小久慈焼や,久慈琥珀が知られている。三陸復興国立公園に属し,小袖海岸は海女の北限地。シラカバ林やレンゲツツジの群落で知られる平庭高原,久慈渓流や長内渓流などの景勝地も多く,久慈平庭県立自然公園に属する。長泉寺の大イチョウは国の天然記念物。八戸市に通じる JR八戸線,宮古市に通じる三陸鉄道北リアス線の終点。国道45号線,281号線,395号線が通る。面積 623.50km2。人口 3万3043(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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