日本歴史地名大系 「下有知村」の解説 下有知村しもうちむら 岐阜県:関市下有知村[現在地名]関市下有知・寺田(てらだ)一―二丁目・水(みず)ノ輪町(わちよう)・西境松町(にしさかいまつちよう)・関(せき)ノ上(うえ)一―二丁目長良川左岸の河岸段丘上の村で、平坦部が多い。武儀(むぎ)郡に属し、東は吉田(きつた)村、南は関村・小瀬(おぜ)村。下内・下有智・下有地とも記し、村内を郡上(ぐじよう)街道が通る。「和名抄」にみえる武藝(むげ)郡九郷のうちの有知郷の南部に比定される。中世には伊勢神宮領下有知御厨の内であった。慶長郷帳に金森長近室久昌院領一千石・池田政長領四〇〇石・肥田忠親領三八七石余、ほかに龍泰(りゆうたい)寺領一〇石があることから、関ヶ原の合戦後に金森長近領となり、慶長一六年(一六一一)の同氏改易によって後室と旧家臣の旗本池田氏・肥田氏に分給されたことがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by