下比延村(読み)しもひえむら

日本歴史地名大系 「下比延村」の解説

下比延村
しもひえむら

[現在地名]西脇市鹿野町しかのちよう

高嶋たかしま村の北東加古川中流域東岸の段丘上に位置する。北東は西光寺さいこうじ山。「播磨国風土記」託賀たか都麻つま里の条に比也ひや山がみえ、応神天皇がこの地に狩をした際、鹿が比々と鳴いたので天皇は射るのをやめさせ、その山を比也山、野を比也野と名付けたと記されるが、これは当地と考えられる。万治四年(一六六一)の塚口新田絵図(塚口町有文書)に当村が記され、東へしださか峠を越えて加東かとう上鴨川かみかもがわ(現社町)へ至る道が描かれる。

慶長国絵図に村名がみえる。寛永一六年(一六三九)幕府領となり(兵庫県史)、その後大部分は延宝六年(一六七八)下総佐倉藩領(「野村鑑覚書帳」東田家文書)、貞享三年(一六八六)相模小田原藩領(「大久保氏禄高調」「稲葉家引継書」小田原市立図書館蔵)と変遷。延享三年(一七四六)全域が三卿の一橋領となり(「一橋家領知高帳」一橋徳川家文書など)、旧高旧領取調帳でも一橋領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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