精選版 日本国語大辞典 「加古川」の意味・読み・例文・類語
かこ‐がわ ‥がは【加古川】
かこがわ かこがは【加古川】
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水源を
古くは
建久三年(一一九二)八月二五日の前掲官宣旨案によると、奈良東大寺領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県南部を流れて瀬戸内海に注ぐ県下最大の一級河川。延長96キロメートル。支流は篠山(ささやま)川、杉原川、東条川、美嚢(みのう)川など大小130に及び、流域面積は1730平方キロメートル。朝来(あさご)市山東(さんとう)町地区と丹波(たんば)市青垣(あおがき)町地区の境界にある粟鹿山(あわがやま)(962メートル)に発し、氷上盆地を潤して播磨(はりま)に入り、加東(かとう)市の闘竜灘(とうりゅうなだ)でいったん河床が狭まるが、下流では加古川市、高砂(たかさご)市、播磨町に及ぶ広大な三角州を形成している。流路が変化し、水害に悩まされた川であるが、河床勾配(こうばい)が緩やかで、かつては河口の高砂から上流の丹波市本郷まで高瀬舟が盛んに往来した。近世の印南野(いなみの)の開拓には加古川の水が引かれ、現在は農業用水の東条湖、工業用水の平荘湖(へいそうこ)などが築かれ、利用価値はいっそう高まっている。
[大槻 守]
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兵庫県南部,加古川の形成する三角州上に発達した工業都市。1950年加古川町と神野,野口,平岡,尾上の4村が合体,市制。人口26万6937(2010)。歴史は古く,古代には山陽道の賀古駅が置かれていた。現在の市街地は加古川左岸の渡船場として栄えた鎌倉時代以降に発達したもので,江戸時代には本陣が設けられ,宿場町,河港として重要であった。明治に入ると肥料,毛織物の近代工場が立地したが,本格的な工業化は1964年の工業整備特別地域指定以降である。とくに臨海の埋立地(430万m2)には神戸製鋼加古川製鉄所とその関連企業が立地し,一躍県下有数の工業都市に変貌した。また山陽本線の電化や快速電車の延長により神戸の通勤圏に入り,内陸部では公営や民間の住宅団地が相次いで建設された。JR加古川線,山陽電鉄線が通じ,山陽自動車道のインターチェンジがある。市内には聖徳太子創建と伝え,西の法隆寺と呼ばれる鶴林寺のほか,尾上の松で著名な尾上神社があり,北部の丘陵は県立自然公園に指定されている。
執筆者:小森 星児
兵庫県南部,播磨平野東部を南流して瀬戸内海に注ぐ県下第一の川。幹川流路延長96km,全流域面積1730km2。京都府との境の遠阪峠付近から発する佐治川と,篠山(ささやま)盆地の水を集めて西流する篠山川が丹波市の旧山南町で合流して加古川となり,以後杉原川,東条川,美囊(みのう)川などの支流を合わせて播磨灘に注ぐ。中流の西脇市付近までは小盆地群を貫いて流れ,丘陵や段丘の発達した播磨平野に入ると川幅も広がり,下流では広大な三角州を形成する。こう配がゆるやかなため,江戸時代初期から高瀬舟による水運が盛んで,大正年間に山陽本線と福知山線を結んで川沿いに加古川線が開通するまでは,河口の高砂や中流の滝野は農産物の集散地として繁栄した。加古川の水は雨の少ないこの地方では,無数の溜池の水源として貴重であり,また先染の播州織の特産地である西脇市では,杉原川の水が染色に利用された。播磨臨海工業地帯の水源としても重要になっている。
執筆者:小森 星児
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… 《旧事本紀》は律令制にもとづく播磨国の成立以前,明石国造,針間鴨国造,針間国造の3国造がいたとする。播磨東部,加古川流域,市川,揖保川流域をそれぞれ勢力範囲としたのであろう。大和朝廷は縮見(しじみ),牛鹿,飾磨,越部などの屯倉(みやけ)や,日下部,矢田部,私(きさい)部,湯坐(ゆえ)部,山部,海(あま)部などの部民を置いて,勢力の浸透をはかった。…
※「加古川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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