日本歴史地名大系 「下毛庄」の解説 下毛庄しもつみけのしよう 大分県:下毛郡下毛庄「宇佐大鏡」に国々散在常見名田の一つとして「下毛郡田数七百丁 但国半不輸之時、宮召物加地子起請田 百七十七丁四反卅 用作一丁八反」とみえる。この下毛郡内に散在していた常見名田が「一円庄号神領」となり、郡名を称する庄園となった(弘安元年一二月四日「宇佐公有下文」到津文書)。元暦二年(一一八五)三月、宇佐宮祝兼権少宮宮司大神宮保と女禰宜大神安子は、牢籠の所領をもとのように不輸地に復してほしい旨、追討使源範頼に申出て安堵の外題を得ているが、その所領中の禰宜免田一六町のうち八町が当庄と上毛(かみつみけ)庄に、また同宮大尾(おおお)社御供田二〇町のうち神領分一〇町が当庄内にあった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by