日本歴史地名大系 「下沼袋村」の解説 下沼袋村しもぬまぶくろむら 東京都:中野区下沼袋村[現在地名]中野区沼袋一―四丁目・野方(のがた)一丁目など新井(あらい)村の北に位置する。南に枝郷新橋(しんばし)村がある(風土記稿)。中世には上沼袋村と一体で、沼袋と称されていた。文明九年(一四七七)四月一三日、「江古田原、沼袋」で太田道灌・上杉刑部少輔・千葉自胤らと豊島泰経・泰明兄弟が合戦、泰明らが戦死した(鎌倉大草紙・北条九代記)。北条氏所領役帳には島津孫四郎分として「廿一貫文 永福寺」がみえ、「沼袋ニも有之」と記される。田園簿に下沼袋村とみえ、田方六〇石余・畑方八九石余、幕府領、ほかに永二貫一六六文の野銭を幕府に納める。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報