妙正寺川・神田川が開析した台地縁辺に約一〇〇ヵ所の遺跡が確認されている。旧石器時代の遺跡は
律令制下から多摩郡に所属したと推測され、近世に至っても変化はない。南北朝期に登場する中野郷は多摩郡の東部に位置する。郷域は現在の中野区・杉並区に加え、新宿区の一部も含まれ、現在の中野区よりかなり広い範囲に及んでいる。文明一〇年(一四七八)と推定される六月二五日の常大坊旦那持分書立写(熊野那智大社文書)には「中野十二郷」とみえ、郷内に一二の村が存在していたとみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報