永福寺(読み)えいふくじ

世界大百科事典 第2版の解説

えいふくじ【永福寺】

富山市にある真宗大谷派の寺。山号は医王山。通称は松寺。寺伝によれば,783年(延暦2)僧浄定がその師泰澄の遺志をついで礪(砺)波郡の医王山中に創建,聖護寺と称し,真言宗に属していた。1471年(文明3)当寺住持寂浄は蓮如に帰依し,法名を道海と改め,76年蓮如は当寺を礪波郡の才川七村へ移し,松寺と改めて甥の蓮真を住持にすえた。これが当寺の中興である。1596年(慶長1)前田利長は当寺を越中東方300余寺の総録所触頭(ふれがしら)と定め,99年本願寺の教如は石山合戦ならびに東西分派の功績をもって永福寺の寺号を与え,永世院家地(えいせいいんげじ)の寺格に列した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

永福寺
えいふくじ

「ようふくじ」ともいう。源頼朝が奥州平定で死去した弟義経や藤原泰衡(やすひら)はじめ数万の怨霊(おんりょう)を弔うため、1192年(建久3)に鎌倉市内の現在の二階堂(にかいどう)に平泉中尊寺の大長寿院(だいちょうじゅいん)の伽藍形式を模して建てた天台密教系の寺院。山号は三堂山(さんどうさん)。廃寺。二階堂(本堂)・阿弥陀堂・薬師堂の主要な建物が回廊で結ばれていた景観は、極楽浄土を連想させるほどに荘厳華麗であったらしい。だが1333年(元弘3・正慶2)に鎌倉幕府が滅亡するや徐々に衰え、さらに1405年(応永12)に火災にみまわれ、以後廃絶した。近年の発掘調査により、3堂の配置状況や中島を築いた庭園の遺構、苑池の汀石(みぎわいし)(池に配置された景石)の状況なども明らかになった。1966年(昭和41)、国指定の史跡となる。[高橋秀栄]
『『鎌倉市史 社寺編』(1959・吉川弘文館) ▽貫達人・川副武胤著『鎌倉廃寺事典』(1980・有隣堂) ▽『国指定史跡永福寺跡 遺構編』(2001・鎌倉市教育委員会)』

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