日本歴史地名大系 「下津金村」の解説 下津金村しもつがねむら 山梨県:北巨摩郡須玉町下津金村[現在地名]須玉町下津金釜無川の支流須玉川の左岸、金峰(きんぷ)山の支脈と斑(まだら)山に囲まれた山間にあり、標高七五〇―八五〇メートル付近に位置。東は江草(えぐさ)村、南は斑山を隔てて小倉(こごえ)村、北は上津金村。御所(ごしよ)・和田(わだ)・下原(しもはら)の三集落からなる。戦国期には津金衆の本拠であったという。慶長古高帳では高三四三石余、うち二七二石余は旗本小尾氏、七一石は旗本跡部氏知行、ほかに権現(熊野神社)領一石四斗四升がある。寛永元年(一六二四)の四郡村高帳では二七二石は旗本跡部氏領。七一石余は幕府領。延享二年(一七四五)の村明細帳(下津金区有文書)によれば、東西二〇町余・南北一六町余、高四七三石余。家数一二一・人数五九九(ほかに僧八・山伏一)、馬二二・牛四一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by