甲斐国志(読み)かいこくし

日本歴史地名大系 「甲斐国志」の解説

甲斐国志
かいこくし

一二三巻六九冊 松平定能

成立 文化一一年

原本 国立公文書館

写本 山梨県立図書館(甲州文庫本七〇冊・徽典館本六九冊)ほか

解説 文化年間に編纂された甲斐国の代表的な地誌。文化二年甲府勤番支配として着任した松平定能が幕府の命を受けて編纂したとされているが、資料の収集等の作業はすでに前任の滝川利雍時代に勝手小普請役富田富五郎(武陵)によって着手されていたとする説がある。定能は甲斐国内の編纂員として内藤清右衛門・森島弥十郎・村松弾正左衛門を任命、編纂にあたって国内の各村から明細帳や絵図を書上げさせた。これらの資料を基に草稿が作成され、江戸の定能宅で編纂された。同一一年一一月完成し、定能の序文を添えて七一冊に製本、一二月幕府に献上された。内容は提要国法村里山川古蹟・神社・仏寺・人物・士庶の各部と附録からなる。史料に基づいて厳密な考証が加えられており、内容は信頼度が高いとされる。国中分の草稿本は集められた二千六〇〇点余の史資料とともに昭和町の内藤家に残され、また郡内関係は甲斐国志草稿として都留市の森島家に伝えられ、現在都留市の所蔵となっている。正本の幕府献進本のほかに写本として徽典館本・甲州文庫本ほか十数種の異本が流布し、刊本は明治期以降七種が刊行されている。

活字本 大日本地誌体系四三―四八・甲斐叢書一〇―一二・甲斐志料集成四―六

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「甲斐国志」の意味・わかりやすい解説

甲斐国志
かいこくし

松平定能(まつだいらさだまさ)編集の甲斐国(山梨県)4郡の地誌。1814年(文化11)完成。全123巻。提要、国法、村里、山川、古蹟(こせき)、神社、仏寺、人物、士庶(ししょ)、附録からなる。甲府勤番支配であった定能は、幕府の内命を受け1806年編集に着手。定能を総裁に、当時甲斐国内に知られた学者内藤清右衛門、森島其進(きしん)、村松善政(よしまさ)を編集員として、地方の村役人、寺社に命じ資料を収集。その間1807年定能は西の丸小姓組(こしょうぐみ)番頭(ばんがしら)に転任、しかし事業は継続され8年の歳月を費やして完成。その年定能は序文を自署し幕府に献上。この『献進本甲斐国志』は国立公文書館に所蔵、数多い同書写本中もっとも権威あるものとして貴重である。

[増田廣實]

『山梨県教育委員会編『甲斐国志草稿本及び編集諸資料調査報告書』(1973・山梨県)』『『大日本地誌大系 甲斐国志』全5巻(1968~82・雄山閣出版)』

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世界大百科事典(旧版)内の甲斐国志の言及

【甲斐国】より

…また郷学としては石和代官山本大膳によって22年(文政5)に設置された由学館をはじめ,37年(天保8)の松声堂,42年の興譲館があいついだ。後期になってみられる地誌類には野田成方の《裏見寒話》(1752),萩原元克の《甲斐名勝志》(1783)があるが,幕府の内命をうけて1806年に着手され14年に完成した《甲斐国志》は最も基本的史料として代表的なものである。そのほか大森快庵の《甲斐叢記》(1848)や宮本定正の《甲斐の手振》(1850)などがある。…

【甲府勤番】より

…これは1796年(寛政8)大手勤番支配近藤政明が山手勤番支配永見為貞とはかって,勤番士とその子弟の教育のため幕府の許可を得て創立した甲府学問所がはじめで,1805年(文化2)大学頭林衡(たいら)によって徽典館と命名され,43年(天保14)に山手勤番支配酒井忠誨(ただみち)・大手勤番支配浅野長祚(ながとし)により学舎を大手門前に新築したものである。また大手勤番支配松平定能(さだまさ)が幕府の内命をうけて着手した《甲斐国志》123巻の編纂事業は,8年の歳月を費やして14年(文化11)に完成したが,甲斐国の地誌として著名である。そのほか勤番士野田成方(しげかた)の《裏見寒話》(1752序)や宮本定正(さだあき)の《甲斐の手振》(1850)が知られる。…

※「甲斐国志」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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