下流川町(読み)しもながれかわちよう

日本歴史地名大系 「下流川町」の解説

下流川町
しもながれかわちよう

[現在地名]中区流川ながれかわ町・三川みかわ町・えびす町・堀川ほりかわ町・のぼり町・鉄砲てつぽう

上流川町の京橋きようばし筋の南に続く町で、途中二筋の直交する町地を越えて南に延びる。南は町地の竹屋たけや町に突当る。町筋の東側に水道が通り平田屋ひらたや川に落ちる。武家屋敷町。元和五年広島城下絵図では山陽道沿いの町地以南の筋に「是ヨリ南ノ角迄百五十三間」と記す。天明年間広島城下絵図では上下の区別をせずに流川町と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む