三川(読み)みかわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三川」の意味・わかりやすい解説

三川
みかわ

新潟県中北部東蒲原郡(ひがしかんばらぐん)にあった旧村名(三川村(むら))。2005年(平成17)東蒲原郡津川(つがわ)町、鹿瀬(かのせ)町、上川(かみかわ)村と合併して阿賀町(あがまち)となり、阿賀町の北西部を占める。旧村域は阿賀野川(あがのがわ)流域に位置する。近世までは会津藩領に属し、中央を縦貫する旧会津街道諏訪(すわ)峠、綱木(つなぎ)峠越えの難所として知られた。中央を阿賀野川が西流し、阿賀野川ライン県立自然公園の景勝地を形成。JR磐越西線(ばんえつさいせん)、国道49号が並走し、揚川(あげかわ)ダムがある。白崎(しろさき)から石間(いしま)までの13キロメートル間は、旧津川船道の舟下りが楽しめる。旧村域の97%が山林で、木材、クリ、シイタケ、ナメコなどが主産物である。三川温泉があり、平等寺の薬師堂は国指定重要文化財。

[山崎久雄]


三川(町)
みかわ

山形県北西部、東田川郡の町。1955年(昭和30)横山、押切(おしきり)、東郷(とうごう)の3村が合併して三川村となり、1968年町制施行。庄内(しょうない)平野の中央に位置し、町域の中央を赤川、東を藤島川(ふじしまがわ)、西を大山川(おおやまがわ)の「三川」が北流し沖積地を潤す水田単作地帯が広がる。米以外にも、メロン、シイタケ、ネギなどを産する。国道7号が南北に縦断し、酒田鶴岡(つるおか)両市の中間点にあたる地理的位置から、中心地の横山には山形県庄内総合支庁が設置されている。面積33.22平方キロメートル、人口7601(2020)。

中川 重]

『『三川町史』(1974・三川町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三川」の意味・わかりやすい解説

三川
みかわ

新潟県中北部,阿賀野川の中流域にある阿賀町北西部の旧村域。 1886年福島県から新潟県に編入。 1889年村制。 1908年綱木村と合体。 1955年揚川村,下条村のそれぞれ一部と合体。 2005年津川町,鹿瀬町,上川村と合体して阿賀町となった。北部の新谷,綱木は江戸時代は会津街道の宿場町。かつては三川鉱山があり栄えたが,1961年閉山。 1962年完成した揚川ダム,三川温泉などのほか,中ノ沢地区にはキャンプ場も整備され,観光が主産業となっている。一部は阿賀野川ライン県立自然公園五頭連峰県立自然公園に属する。平等寺境内の将軍スギは国の天然記念物。

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改訂新版 世界大百科事典 「三川」の意味・わかりやすい解説

三川[町] (みかわ)

山形県北西部,東田川郡の町。1968年町制。人口7731(2010)。庄内平野の中央部に位置し,中央を赤川が北流し,両岸に水田が開ける。北は酒田市,南は鶴岡市に接し,両市を結ぶ国道7号線が赤川沿いに通る。中世には横山に武藤氏の横山城があった。江戸時代には庄内藩領であった。米作を中心とする農業が基幹産業でササニシキなど良質の庄内米を産する。近年は機械化による省力化が進み,兼業化も進行して,町内をはじめ酒田・鶴岡両市への通勤者が増加している。県の庄内総合支庁,青果物地方卸売市場などの公共施設が立地する。
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三川(新潟) (みかわ)

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百科事典マイペディア 「三川」の意味・わかりやすい解説

三川[町]【みかわ】

山形県東田川(ひがしたがわ)郡,酒田・鶴岡両市の間にある町。赤川が北西流する庄内平野中央部を占め,米を多産,酪農も活発。国道7号線が通じ,商工企業の進出が著しい。33.22km2。7731人(2010)。

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