下清久村(読み)しもきよくむら

日本歴史地名大系 「下清久村」の解説

下清久村
しもきよくむら

[現在地名]久喜市下清久

上清久村の東に位置し、北は新川(につかわ)用水を境に久本寺(くほんじ)村(現鷲宮町)。天正一八年(一五九〇)八月の徳川氏関東入国にあたり、松平康重は忍(おし)(現行田市)から騎西(きさい)(現騎西町)へ移ったが、所領二万石のうち四千石不足であったため、検地と下清久二千石で補充したという(石川正西聞見集)。村高から考えても下清久村一村ではなく付近一帯が含まれていたと思われる。騎西領に所属し、検地は上清久村に同じ(風土記稿)。田園簿によれば川越藩領で、田高一七七石余・畑高一五九石余、ほかに野銭永七〇文があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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