日本大百科全書(ニッポニカ) 「騎西」の意味・わかりやすい解説
騎西
きさい
埼玉県北東部、北埼玉郡にあった旧町名(騎西町(まち))。現在は加須市(かぞし)の南西部を占める地域。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)種足(たなだれ)、田ヶ谷(たがや)、鴻茎(こうぐき)の3村と合併。1955年高柳村を編入。2010年(平成22)北川辺町(きたかわべまち)、大利根町(おおとねまち)とともに加須市に合併。大宮台地北東にある沖積低地にあたり、見沼代用水(みぬまだいようすい)、新川(にっかわ)用水(騎西領用水)が流れる。地形はこれらの河川の自然堤防、背後の後背湿地、および島状台地からなる。国道122号が通る。平安末期武蔵(むさし)七党の一つ私市(きさい)党の拠点で、中世太田道灌(どうかん)が築いた私市城があったが、江戸初期に廃城、その後は在郷の市場町として発達し、青縞(あおじま)の取引が盛んであった。農作物の生産が盛んで、米のほかキュウリ、ナス、ナシなどがつくられている。保寧寺の木造阿弥陀(あみだ)如来及両脇侍像は国指定重要文化財、足利持氏(もちうじ)・春王・安王供養塔は県指定史跡、玉敷(たましき)神社の神楽(かぐら)は県の無形民俗文化財。
[中山正民]
『『騎西町史』全9巻(1985~2001・騎西町)』