上清久村(読み)かみきよくむら

日本歴史地名大系 「上清久村」の解説

上清久村
かみきよくむら

[現在地名]久喜市上清久

六万部ろくまんぶ村の北東に位置し、北は新川につかわ用水を境に中妻なかづま久本寺くほんじ(現鷲宮町)二村と対する。東は下清久村、六万部村の南部に飛地がある。上・下の清久村一帯は「吾妻鏡」養和元年(一一八一)二月一八日条などにみえる大河戸次郎秀行(清久氏)の本貫地であった。建長年間(一二四九―五六)と推定される年不詳の某陳状(中山法華経寺「双紙要文」裏文書)に武蔵国清久とみえる。天正八年(一五八〇)三月二一日、足利義氏は北条氏照に対し、清久郷など五郷から人夫を毎年五〇人・二〇日間出させることとし、今回は四月二日と三日に下総古河に参集させるよう命じている(「足利義氏印判状写」喜連川家文書案)騎西きさい領に所属(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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