日本歴史地名大系 「下狼塚村」の解説 下狼塚村しもおいぬつかむら 宮城県:加美郡中新田町下狼塚村[現在地名]中新田町下狼塚多田(ただ)川右岸の低平地にあり、東は平柳(ひらやなぎ)村、南は四日市場(よつかいちば)村、西は中新田村、北は上狼塚村に接する。「おいのつか」とも発音される。村内赤(あか)はけに高さ六尺・回り一丈六尺の狼塚があり、「往古狼相埋候由」と伝える(安永風土記)。「余目記録」によれば、応永(一三九四―一四二八)初年に、留守氏宿老村岡氏一族内で家督争いが起こり、「宮内少輔いまた又二郎の時、そうりやう(惣領)たりし村岡総州ニせつかんせられ候て、かハうちへ罷出大崎致奉公、加美郡小泉郷ヲ御恩給、大いぬ塚ニ居住ス、こほり大狼塚ニて調義し、一夜之内ニそうしう(総州)を父子五人うち、総而兄弟、披(ママ)官十七人ニていな沢のたちヲ築」とあり、惣領家が代わっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by