日本歴史地名大系 「下田向村」の解説 下田向村しもたむこうむら 大分県:大分郡庄内町下田向村[現在地名]庄内町柿原(かきはる)阿蘇野(あその)川沿いにあり北は富(とみ)村。正保郷帳に村名がみえ高一三三石余・畑高一五五石余、阿南(あなん)庄に所属。柴山有り。領主の変遷は中淵(なかぶち)村に同じで、元禄一〇年(一六九七)の府内領郷帳(府内藩記録)には「下田向(しもたむかう)村」とあり、高三九八石余。奥郷野畑組に属した(同記録)。旧高旧領取調帳では高四四八石余。喜八法師宮は霜明神ともいわれ、一法師友勝が社殿を造営し、孫の義成が野畑に築城してから産土神としたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by