日本歴史地名大系 「下砂井村」の解説
下砂井村
しもいさごいむら
「寛文朱印留」に「下砂井村」とみえて古河藩領。のち下総関宿藩領となり、猿島郡上郷に属した。文化三年(一八〇六)には家数二九、安政二年(一八五五)では家数二九、人口一五二のうち男七一・女八一、馬七(小松原康之助文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
「寛文朱印留」に「下砂井村」とみえて古河藩領。のち下総関宿藩領となり、猿島郡上郷に属した。文化三年(一八〇六)には家数二九、安政二年(一八五五)では家数二九、人口一五二のうち男七一・女八一、馬七(小松原康之助文書)。
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