日本歴史地名大系 「下秋間村」の解説 下秋間村しもあきまむら 群馬県:安中市下秋間村[現在地名]安中市下秋間秋間川を隔てて上野尻(かみのじり)村の北にあり、北は雉子(きじ)ヶ尾(お)(きじご)峠を越えて中里見(なかさとみ)村(現群馬郡榛名町)。当地一帯は古代碓氷(うすい)郡飽馬(あきま)郷(和名抄)に含まれ、七世紀後半頃から一〇世紀頃までの瓦や、須恵器窯を含む秋間窯跡群が分布する。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)六月二二日条にみえる飽間太郎は当地出身と考えられる(→飽馬郷)。永禄三年(一五六〇)一〇月二日の正木時茂書状写(「歴代古案」所収)によると、同年九月上旬に「明間」の城が上杉謙信に落されたことが知られる。「簑輪軍記」の安中城落城の際の記述には「秋間山」がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by