下米内村(読み)しもよないむら

日本歴史地名大系 「下米内村」の解説

下米内村
しもよないむら

[現在地名]盛岡市下米内・山岸やまぎし三丁目・同六丁目など

西流する中津なかつ川北岸に位置し、同川に村内を南流する支流の米内川が合流する。南東浅岸あさぎし村、村の西部を小本おもと街道(野田街道)が南北に通る。戦国期より一方井氏の支族米内氏の領地とされる(岩手県史)。江戸初期までは米内村であったが、のち当村と北の上米内村に分村している。慶長一二年(一六〇七)九月二一日の南部利直知行宛行状(参考諸家系図)に岩手郡米内村とみえ、検地によって過分の高付をされたが、米内右近が従来どおりの知行を命じられ、当村三六一石余ほか合計四〇三石余を宛行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む