日本歴史地名大系 「下門真庄」の解説 下門真庄しもかどまのしよう 愛知県:海部郡下門真庄旧海西(かいさい)郡に属し、現津島市西部および佐織(さおり)町見越(みこし)を含む地域に比定される。単に「門真庄」とも記されるが、上門真庄(現葉栗郡木曾川町辺り)・西門真(にしかどま)庄(現岐阜県羽島市辺り)との関係や成立事情・上級領主などは明らかでない。養和元年(一一八一)一二月八日付の後白河院庁下文(新熊野神社文書)にみる同社領二八ヵ所には、当庄が含まれていないので、庄の成立はこれ以後のことである。初見は建武三年(一三三六)一〇月二七日付の高師直奉書(若王子神社文書)で、この年七月一八日、足利尊氏は荘内三腰(みこし)村(現佐織町見越辺り)を禅林(ぜんりん)寺新熊野社(現京都市若王子神社)領として安堵した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報