日本歴史地名大系 「下須々孫城跡」の解説 下須々孫城跡しもすすまごじようあと 岩手県:和賀郡和賀町煤孫村下須々孫城跡[現在地名]和賀町煤孫和賀川下流南岸、煤孫(すすまご)集落のほぼ中央の高台にある平山城。城跡は古館(ふるだて)神社・煤孫寺の境内一帯を含む。須々孫城・古館・観音館とも称したという。暦応三年(一三四〇)九月一二日の石塔義元感状(鬼柳文書)に「参御方馳向須々孫城」とみえ、和賀鬼柳三郎兵衛尉の軍忠を賞している。南北朝期合戦の場となった須々孫城は当城のこととみられている。「邦内郷村志」に「故楯」とみえ、天正(一五七三―九二)末頃和賀氏一流須々孫氏が拠っており、当館主が能楽を好み、猿楽興行のための舞台屋敷が館下にあったと伝えるとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by