下高井村(読み)しもたかいむら

日本歴史地名大系 「下高井村」の解説

下高井村
しもたかいむら

[現在地名]取手市下高井

小貝こかい川西南岸の純農村。西の上高井村とともに古くは一村の高井村を形成していたものと思われる(→上高井村。「廿三町村沿革」によれば慶長―元和(一五九六―一六二四)は守谷藩領、寛永一八年(一六四一)まで旗本伊丹康勝知行地、同一九年より下総佐倉藩領、慶安三年(一六五〇)より佐倉藩主堀田正盛の三男正俊(のち古河藩主)領、寛文七年(一六六七)天領、同八年より酒井忠挙領、天和元年(一六八一)天領、同二年より下総関宿藩領、宝永二年(一七〇五)より天領、同五年より旗本村上正邦・正直兄弟の知行地などに分れ、文政一〇年(一八二七)の相馬郡地頭并村高調帳(長塚家文書)によれば旗本吉田梅庵の知行二九六石余、村上主殿・市左衛門の知行ともに一八六石余、下総高岡藩領一八石余、天領五三石余、高源こうげん寺朱印地三・二五石に分れていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報