下高輪証誠寺門前(読み)しもたかなわしようじようじもんぜん

日本歴史地名大系 「下高輪証誠寺門前」の解説

下高輪証誠寺門前
しもたかなわしようじようじもんぜん

[現在地名]港区高輪たかなわ二丁目

下高輪智将院しもたかなわちしよういん門前の南に高輪台たかなわだい(南方)を挟んで続く片側の門前町屋。南は下高輪国昌寺しもたかなわこくしようじ門前、東は証誠寺境内を隔てて泉岳せんがく寺、西は往還を隔てて肥後熊本藩細川家中屋敷。承応二年(一六五三)西久保丸山にしくぼまるやまから証誠寺・門前町屋ともに引移り、延享二年(一七四五)から町奉行支配。町内間数は四ヵ所に分けて記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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