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両番 リョウバン

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デジタル大辞泉の解説

りょう‐ばん〔リヤウ‐〕【両番】

江戸幕府の大番書院番、のちには書院番と小姓組(こしょうぐみ)番の称。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
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世界大百科事典内の両番の言及

【小性組】より

…1723年(享保8)には番頭4000石高,組頭1000石高,番衆は300俵と定められた。書院番と併せて両番と称され,ともに殿中の警備,将軍外出時の供奉,遠国御使等を務めたほか,昼夜廻(江戸市中巡回),屋敷改,進物番等の職務を兼ねた。【松尾 美恵子】。…

【巡見使】より

…最初の寛永の巡見使は,大御所徳川秀忠が死去し3代将軍家光が名実ともに政権を掌握したのを機に,また寛文の巡見使は4代家綱の政権の確立期に,それぞれ派遣されたが,5代綱吉の天和の巡見使以降,代替り直後に派遣されるようになった。 巡見使は原則として全国に派遣されたが,寛永の場合は6ブロックに3人ずつ(万石以上,使番,両番(書院番小性組)により構成),寛文の場合は〈陸方衆〉として6ブロック(ただし1664年派遣の関東を除く)に3人ずつ(使番,書院番,小性組により構成),〈海辺衆〉として2ブロックに2人ずつ(船手等により構成),天和と宝永の場合は8ブロックに3人ずつ(使番1人,両番2人により構成)の編成で,御料(幕領と天領)・私領の区別はなかった。ところが宝永の巡見使のもたらした報告により全国の施政・民情の実態を知った幕府は,とくに直轄領の監察強化を企図し,1712年から翌年にかけて,全国の幕領を14のブロックに分け,各3人ずつ(勘定,支配勘定,徒目付(かちめつけ)により構成)の〈国々御料所村々〉巡見使を派遣した。…

【書院番】より

…43年(寛永20)以後は,虎之間に勤番することになった。五番方の一つで,小性組番と併称して両番という。定数は10組(ときに増加あり)で,各組に番頭1人(若年寄支配,役高4000石,役料なし,在番中は禄高の半額支給,諸大夫,菊之間詰),組頭1人(若年寄支配,役高1000石,布衣,菊之間南御襖際),組衆50人(頭支配,役高300俵,御目見以上,虎之間詰),与力10騎(役高現米80石,御目見以下,上下役,御抱場),同心20人(役高30俵二人扶持,御目見以下,御抱場)が属した。…

※「両番」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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