朝日日本歴史人物事典 「並木丈輔」の解説
並木丈輔
江戸中期,上方で活躍した浄瑠璃作者,歌舞伎狂言作者。並木宗輔の門弟。並木丈助,豊丈助,並木笛風とも称した。享保18(1733)年「莠伶人吾妻雛形」で師の宗輔と合作,2年間豊竹座で浄瑠璃作者として活動したのち,歌舞伎作者に転じる。並木永輔,松屋来助,中田万助らと合作,「女夫星浮名天神」「敵討出口柳」などの作がある。のち寛延1(1748)年に豊竹座に戻り立作者となる。「容競出入湊」「八重霞浪花浜荻」などを浅田一鳥らと合作。「八重霞浪花浜荻」は実際に起きた妹の兄殺しと男女の心中事件などをとり入れて数日後に仕上げた世話浄瑠璃で,大当たりを取った。世話物を得意とした丈輔の才気のほどを示す一例である。また『伝奇作書』(1851)にも丈輔の才気を示す逸話がある。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1,2』
(黒石陽子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報