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中原基兼 なかはら もとかね

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中原基兼 なかはら-もとかね

?-? 平安時代後期の官吏。
後白河院庁主典(さかん)代をへて大蔵権少輔(ごんのしょう),右少史をつとめる。安元3年(1177)鹿ケ谷(ししがたに)事件にくわわって伯耆(ほうき)(鳥取県)へ流される。のちゆるされたが,治承(じしょう)3年平清盛により陸奥(むつ)に流された。京都出身。日記に「史基兼記」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

中原基兼

生年:生没年不詳
平安末期の院近習。永暦1(1160)年には弾正忠であったことがみえ,承安1(1171)年に山城守となる。北面下臈として後白河院に仕え,治承1(1177)年鹿ケ谷の平氏打倒の陰謀に加担して,平清盛により解官,奥州に配流された。その後は藤原秀衡に属し,内乱期を通じて活発に行動したものと思われる。平氏滅亡後の文治3(1187)年には基兼の再上洛について源頼朝がとりなしをしていることから,基兼が各方面との連絡を維持していたことがうかがわれる。当時の貴族の日記では「元法皇近臣,凶悪之人」と評されている。

(奥田環)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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