治承(読み)ジショウ

日本の元号がわかる事典の解説

じしょう【治承】

日本の元号(年号)。平安時代の1177年から1181年まで、高倉(たかくら)天皇、安徳(あんとく)天皇の代の元号。前元号は安元(あんげん)。次元号は養和(ようわ)。1177年(安元3)8月4日改元。京都富小路から出火し、大内裏・大極殿をはじめ洛内2万戸が焼失した大火を理由として行われた(災異改元)。『河図挺佐輔』を出典とする命名。治承年間は平氏の全盛期にあたる。1179年(治承3)、平清盛(きよもり)は対立を深めていた後白河(ごしらかわ)法皇を幽閉し、院政を停止させた。翌1180年(治承4)、「源平の戦い」と呼ばれる6年に及ぶ治承・寿永(じゅえい)の乱が始まる。同年4月、後白河の皇子以仁王(もちひとおう)が平氏追討の令旨(りょうじ)を発し、8月にはこれに応じて源頼朝が挙兵した。この間に高倉天皇が退位し、幼少の安徳天皇が即位。6月には、清盛が安徳を奉じて福原(現在の神戸市兵庫区)に遷都を行っている(11月に還都)。同年9月、木曽の源義仲(よしなか)(木曽義仲)が平家討伐の兵を挙げ、10月には頼朝が関東の武士の助勢を得て鎌倉に入っている。

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精選版 日本国語大辞典の解説

じしょう ヂショウ【治承】

平安時代、高倉・安徳天皇の代の年号。安元三年(一一七七)八月四日改元。出典は「河図挺作輔」の「治武明文徳、治承天精」。三年(一一七九)一一月平清盛、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉。四年(一一八〇)六月福原へ遷都(一一月まで)。八月源頼朝挙兵。一一月源頼朝、侍所を設置。一二月後白河院、院政復活。平重衡、東大寺・興福寺を焼く。五年(一一八一)閏二月平清盛死。七月一四日養和と改元。ただし、関東では七年(一一八三)まで治承年号を用い、養和の年号を用いなかった。

ちしょう【治承】

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