日本歴史地名大系 「中友生村」の解説 中友生村なかとものむら 三重県:上野市中友生村[現在地名]上野市中友生下友生村の東。久米(くめ)川が中央部、渋田(しぶた)川が南部を西流する。西北端の旗(はた)ヶ峰(みね)には後期古墳数基がみとめられ、須恵器が出土する。阿弥陀寺(あみだじ)古墳は界外(かいげ)村の当村飛地北浦(きたうら)にあり、横穴式石室を有する。久米川沿いの道のほか、渋田川に沿い市部(いちべ)村より当村・界外村に至る道も旧道であろう。寛文元年(一六六一)古検を改め、本高四〇一・〇二七石、平高四八九・九六四石で、野崎新平・小川五郎兵衛の給地約一三八石は友生四ヵ村の内にあった。寛延(一七四八―五一)頃の戸数五九、人口二八四、馬一九。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by